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25 :風の谷の名無しさん

そうすけくにの手勢あっさり逝ったな

 37 :風の谷の名無しさん

 >>25
 総大将は逃げ遅れて討たれただけだから、手勢はまだ全滅した訳じゃ無いはず
 とは言っても全力であたって負けたんだから先行き暗いな

9 :風の谷の名無しさん

援軍どころか宗助国の主力が早くも壊滅したから詰んだな

食料も長期保存が難しい時代だから逃げるのも一苦労
難民が略奪者になるんだよな

11 :風の谷の名無しさん

あの戦力差で七日は無理ゲーだよな

124 :風の谷の名無しさん

7日も持つの

 149 :風の谷の名無しさん

 >>124
 ・そもそも大規模な援軍を出せる状況じゃない
 ・壱岐の戦力は100~1000以上はあったがそれでカバーできず、敵の大軍に対して離島戦はやっぱ無理ゲーに近い
 ・敵の進行スピードは早く二週間くらいで襲来
 ・実は九州勢力も完全な準備は整ってない
 ・他の地域はもっと遠いから辿り着くまでが一苦労

 漁師町だし対馬の人も逃げれる人は逃げたとは思うわ
 開田七人塚みたいに隠れもしたろうし全滅ではないだろうな
 どれだけの人数が民兵のように戦ったか気になる

10 :風の谷の名無しさん

これ、どうすればよかったの?
敵が海にいる間に火矢を射ればいいのにと思ったが、モンゴルの弓矢のほうが強力かな
軍船に馬は積まないのね

爆弾を投石器で弾くなんて大砲と同じやね

12 :風の谷の名無しさん

>>10
『去ぬる文永十一年大歳甲戌十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、
 対馬の者かためて有りしに宗の相馬尉逃げければ、
 百姓等は男をば或は殺し、或は生け取りにし、
 女をは或は取り集めて手をとをして船に結い付け、或は生け取りにす。
 一人も助かる者なし。壱岐によせても又是くの如し』

  建治元年(蒙古襲来の翌年)  日蓮 『一谷入道女房御書』

元軍は大量に捕まえた対馬の女たちを船の舷側に縛って並んで吊るしていたので、日本軍は元軍の船に矢など射れなかった

 14 :風の谷の名無しさん

 >>12
 火矢は対馬に上陸する前でさ
 中世は刀<弓矢だからさ

 19 :風の谷の名無しさん

 >>10
 弓はともかく圧倒的な戦力差であっさり潰されるだろう
 海戦も艦隊差がありすぎ

 対馬だけでなく九州の戦力がそこまで多くないからね
 九州も対馬のように上陸されてるから

 26 :風の谷の名無しさん

 >>10
 数の差と攻撃、防御兵器の有無の差はいかんともし難い
 地の利を活かすにも「交易してる間柄だからどうせ激しい攻撃はして来ないだろう、話せば分かるかも」と初期対応を誤って後手に回って上陸を許したからな

 縁故を重視して楽観的になる日本の組織が昔からよくやるミスではある
 第二次の博多戦では教訓を活かして準備万端で迎撃してたが

21 :風の谷の名無しさん

うわぁ・・・虐殺じゃんこれよく追い返せたなほぼ無理ゲーじゃん
当時の人から見りゃ未知の戦法に未知の武器に大量の兵力とかよく耐えれたな
日本側に本多忠勝みたいなのが居たのかこれ?

991 :風の谷の名無しさん

沿岸部の村人を虐殺してるってことは、
支配のための侵略ではなく好き放題やるための侵略か。
一番、始末におえないパターンだなぁ。

 992:風の谷の名無しさん

 少なくとも文永の方では長期占領する気なかったでそ
 2万数千の軍勢じゃ全然足らん

 994 :風の谷の名無しさん

 >>991
 蒙古は奴隷部族には何も与えない
 頑張って戦って日本から獲って来いが蒙古のやり口
 蒙古襲来は高麗宣撫の一環でもある

16 :風の谷の名無しさん

沿岸部の村人を無意味に虐殺してたけど史実ではどうなの?
占領征服して元の住民を自国に取り込んで税金取るためだったら原住民殺しちゃダメだよね?

 18 :風の谷の名無しさん

 >>16
 現地人は殺すか奴隷にするかだった
 そのため現地人は元寇撤退まで山奥に隠れていた

 17 :風の谷の名無しさん

 >>16
 現地人を滅ぼして自分たち(モンゴルの手先に使われてる高麗人)が移住する計画らしいよ

 20 :風の谷の名無しさん

 >>16
 最終目的地は博多なので船に積めないのは犯して殺したってのもあると思う

101 :風の谷の名無しさん

>「日本なんて領土にしたって平地が少ない山だらけの島だし羊を連れて馬で走って来ることなんてできないのに
なんで侵略なんかしようと思ったの?」

それは割と真面目に気になる

それまで日本と戦争もなかったし、大陸から日本に(何度か攻撃はあったけど)征服目的に攻め込んだこと自体これが初だよね?

大陸の国家ってあまり日本に興味なさそうなイメージだけど
なんで元は日本を侵略なんかしようと思ったんだろ

 105 :風の谷の名無しさん

 >>101
 モンゴル軍に参加した兵士の報酬は略奪
 敵が抵抗してくれれば好き放題に殺して財産を奪うことができるが
 朝鮮みたいに全面降伏で王子や処女を差し出して属国になった国からは略奪できない

 兵士は小競り合いに駆り出されただけでタダ働きさせられたことになる
 当然不満も高まり、さらに略奪できる地を求めて、その先の国を狙っていくことになる。

 そうやってモンゴル帝国は1国として統制できないまでに爆発的に膨張していった。

 114 :風の谷の名無しさん

 >>101
 元朝時代に編纂された日本伝には
 日本は豊かで絹や金銀を産出し、耕作にも適し
 中国の書籍を国中に多く持っていて
 当の中国でも失われたような書籍まで保管しているというような事が書かれている。

  185 :風の谷の名無しさん

  >>114
  面白い視点だな
  何故か教えてやる。中華は争いばかりしてその都度王族が変わってる。と同時にその都度負けた王族関係者達が日本に逃げている。とくに唐の時代あたりは濃

 111 :風の谷の名無しさん

 >>101
 プライドの問題。
 日本が朝貢しないからしろよと言ったら無視されたので許せん、となった。
 まぁなまじ世界帝国になっちゃたから体面的にも許せなかったのかもね。

 113 :風の谷の名無しさん

 >>101 
 侵略したかった訳でもないと思う。クビライ側としては、世界中に広がりすぎた戦線を整理するため、南宋包囲網の一環として、経済支援を取りやめるよう日本に国書で穏便に申し入れたつもりが、
 すでに内政にガタが来ていた鎌倉幕府的には、国書の最後に修飾でついていた武力行使可能性のほのめかしに飛びついて、対外脅威を国内的に言い立てて内政引き締めを図るため、国書を公然と拒絶、(「そこにはもちろん、現実の国際情勢に対する考慮などはまったく存在しない。一体いつの時代の話をしているのかって?無論、鎌倉時代の話だ」)


 世界帝国の面子を公然とつぶされたクビライ側としては、支配領域/征服予定諸国に示しをつけるため日本と事を構えざるを得なくなり、余分な(しかもカネがかかりすぎる)戦線を新たに抱え込まざるを得なくなって頭を抱えたのはクビライ側だろう、と、「皇国の守護者」の作者があれより随分前にかいてた。ほぼ同感。

  119 :風の谷の名無しさん
  >>113
  フビライの国書の内容はちゃんと残っているよ。

  丁寧な言葉遣いではあるが
  要するに蒙古国皇帝に対し、日本国王として君臣の誼を結べと。
  さもなくば(本意ではないが)兵を用いるしかないといった内容。

  臣下になる気が無いなら断るしか方法が無い。
  あくまで対等な立場に拘るなら
  「無礼な」
  という反応になるのは全く自然な事。

  116 :風の谷の名無しさん

  >>113
  大間違い。
  フビライは日本に送った最初の使者が戻らないうちから  日本遠征の為の大船団の建造を命じている。

  そもそも日本は天皇を頂き、  中国皇帝とも立場の差は無いというのを建前にしてきた。
  蒙古国皇帝の臣下にならなければ武力を用いるといった表現が  幕府からも朝廷からも、そもそも受け入れられるわけがない。

  そして日本は失礼な申し出に返使を送らなかったというだけ。

  返事が無いから攻める。
  その態度が既に日本を下に見ていて、マトモな修好など無理。
  なのに元軍進攻の責任が幕府にあるなどというのは牽強付会も甚だしい。

96 :風の谷の名無しさん

元が攻めて来るから援軍を求めたのに僅かな流刑者が送られてきただけだったら普通は「ふざけんな」と。
これで戦いになるかと怒るよね。

それが割と喜んで歓迎してるんだから、ポジティブな連中だよ。

 103 :風の谷の名無しさん

 >>96
 ふざけんなも何も元を相手に戦略的にも経済的にも基本的に大軍を維持できる土地じゃない
 無駄に犠牲を増やすだけ

 兵站維持で疲弊して敵の大軍に囲まれたらほぼオワリ
 食料も経済も情報伝達能力も現代の日本の環境とは雲泥の差だからな

 100 :風の谷の名無しさん

 >>96
 この時代は自分の領地は自分で守るが基本
 流人も居る事は許されてるけど別に歓迎はされてない気がする
 援軍は……大勢呼んだらその糧食で対馬領民の蓄えが食い潰されるし
 かと言って来てからだと宛に出来ないのを7日後以降、となかなか難しいよね

  107 :風の谷の名無しさん

  >>100
  当時は大宰府という幕府の出先機関が九州の防衛を司っていて対馬壱岐から元軍襲来を伝える使者がくると九州中の御家人を大宰府に参集させているよ。

  史実では上陸されるまで分からなかったが予め予知して援軍出すんなら、守り難いにせよ精兵送るだろ。

  流罪人なんて監視の為の余分な人員も必要だしいつ敵に寝返るかもわからない。
  助けになってないんだよな。

131 :風の谷の名無しさん

これあの連れてこられた犯罪者以外は大体本当にいた人?

 136 :風の谷の名無しさん

 >>131
 宗助国、宗右馬次郎、弥次郎、真継男、現八、少弐景資は史料に名前出て来る
 姫様とお付きの2人は架空の人物

174 :風の谷の名無しさん

ヤアヤアワレコソハ
なんて義経が考案した集団戦闘とゲリラ戦の汚い戦い方で崩壊させてるよね
対馬はここに至ってもまだ平家ガーとか言ってたのか

 179 :風の谷の名無しさん

 >>174
 いやそうではない。義経の発明も集団戦法も個人戦法もなく、ただ単に合理的な戦い方をしてるだけ。
 治承寿永内乱で動員数が飛躍的に増えて確かに戦い方は変わってるが。
 名乗りをあげるのは証人を求めるとか、家系の意識とかいろいろあるが深く考える必要もない。

167 :風の谷の名無しさん

しかし、元寇以前にもボコボコ攻め込まれてたはずなのに、軍議で対馬スルーするとか言うのは無理あるなぁ。

 172 :風の谷の名無しさん

 >>167
 だいたいは海賊連中だから適当に追っ払えば良かったのと
 あと宗氏が対馬を領有権して日が浅いからってのもあるかもしれんね

  178 :風の谷の名無しさん

  >>172
  あり得ない。幕府は東国御家人を下向させ、異国警固番役も設けてる。
  対馬の軍議で通過もくそもない。

189 :風の谷の名無しさん

あの軍議は何のための演出なんだろうね。
元軍を甘く見てボロ負けするって伏線なら分かるが
戦えば見事な奮戦なんだから意味が分からない。

 192 :風の谷の名無しさん

 >>189
 やりたかったのは宗氏の当主が主人公を認めたあのシーンなんだと思う
 これで余所者である主人公が主導権を握りやすくなる
 その前置き、だけだと間抜け過ぎるので直後のシーンと合わせて対馬の平和さを描いてる気はする
 そこと敵の侵攻とのギャップを狙った……はずなんだが、描写が削られてるせいで薄くなってるな

236 :風の谷の名無しさん

史実だからしょうがないんだけど
手勢300(騎馬80)程度で数千の元・高麗軍に何の作戦もなく平地で真正面から戦って全滅したのは鎌倉武士は戦術も知らないアホと言われてもしょうがないわな

敵の戦力が優っている時は平地で戦わない
高地に陣を取れば相手の矢は届かないしこちらの矢は重力で勢いを増す

 237 :風の谷の名無しさん

 鎌倉武士がゲリラ戦術を知らなかったとか好まなかったということはなくて
 弘安の役の時は元軍の船に夜襲をかけてヒットアンドアウェイをしたりしてる
 まあそういう「卑劣な」戦い方が変則的だったことは確かで
 対馬の田舎侍はバカ正直に正々堂々と戦って負けたんだろう

 238 :風の谷の名無しさん

 朽井が驚いていたように鎌倉期の歩兵(足軽)は
 合図によって集団行動を取るといった運用はされてなかった
 その意味では鎌倉期までは集団戦法はなかったということ
 あくまで騎馬の戦闘力に依存した軍隊だったんだな